1986年に発売したHAL研究所のFM音源&MIDIボード、“響”
マイコン(当時はパソコンと言わずマイコンと呼んでいた)のプログラミングとシンセサイザで遊んでばかりいた結果、一浪の末、1985年に大学に入った私は、約1年ぶりにHAL研究所のメンバーに復帰。もちろんメンバーっていったって味噌っかすで、特別なミッションがあったわけでもなく、ときどき会社に遊びにいくだけ。でも、岩田さんの計らいにより、確か月額3万円もいただいていたんですよね。
当時、HAL研で揃えてもらったYAMAHA CX5のパンフレット
岩田さんからは「何か面白いテーマを自分で考えてごらん。必要なものがあれば会社で買うこともできるから」と言われて、お願いしたのが、YAMAHAのMSXパソコン、CX5のシステム一式。正確にいうと、すでにCX5は会社にあり、それのオプションボードであるSFG-01とミニ鍵盤のYM-01というものを買ってもらったのです。
上記CX5の横のスロットに挿して、FM音源機能とMIDI機能を搭載することができるSFG-01
たぶん原稿は当時私が書いたと思われる響のパンフレット。右下の鉛筆の落書きは誰がしたんだろう…
そこで岩田さんがとってくれた行動が、YAMAHAに交渉すること。1浪している間に新しい社員も増えて20人くらいの会社にはなっていましたが、YAMAHAみたいな大会社がこんな零細企業を相手にしてくれるわけがない……と勝手に思っていたところ、数週間後には、サンプルICを持って帰ってきてくれたんですよね。「大人って凄いなぁ…」と思いましたが、6歳年上の岩田さんは、当時25歳前後ですから……。YAMAHAもICメーカーとして外販を積極展開しだしたタイミングだったので、お互い好都合だったのかもしれません。
iOSのアップデートにともないディスコンになってしまったDETUNEのiYM2151
ちなみに、そのFM音源チップとはYM2151(OPM)というもので、後にシャープのX68000に搭載されたことから大きく知られるようになった4オペレータ・8ポリフォニックのもの。性能的にはDX27、DX100とほぼ同等のものですね。このYM2151をiPadでエミュレーションするアプリiYM2151を、佐野電磁さんがプロデュースし、YAMAHAの加瀬光さんがエンジン部分を開発する形で2012年にDETUNEからリリースされましたので、ご存知の方もいるかもしれません。DTMステーションで記事にしたり、AV Watchでインタビューしたりもしたのですが、残念ながら現在ディスコン状態。ぜひ、復活してもらいたいな…なんて期待しているところです。
響の心臓部ともなった2つのチップ。上の大きいのがYM3802、その右下がYM2151
SFG-01のリファレンスマニュアル(左)とYM2151のチップのマニュアル(右)
YM2151のブロックダイアグラム。あまり表に出たことがない図なのでは……
この写真はほぼ完成版の試作機。左側のPALチップに手書きシールが貼られている
そんなことをしつつ、HAL研のハードウェア担当の方にお願いして、これら2つのチップを乗せるとともにMIDI入出力端子を搭載し、簡単なアンプ回路を搭載して音が出せる試作機版を作ってもらい、PC-8801で動かせるようにプログラムを組んでいきました。
高校時代に作ったGSX-8800のとき、最初のハードウェアは設計や試作は自分でやっていましたが、響のときはすべてお任せだったように記憶しています。で、私はまずは音が鳴らせるように、FM音源での音色エディットができるようにプログラムを組んでいったのです。これらはすべてアセンブラで行っていったのですが、大半は自宅で作業していて、週に1度くらい、HAL研に行って、岩田さんに見てもらうというようなやり取りでした。
鍵盤のキースキャン機能と思われる部分のフローチャート
おそらくKさんが作ったのだと思われる譜面入力型のシーケンサ、響子
とくに岩田さんから納期について言われた記憶はありません。大学の期末試験などを適当に乗り切りつつ、当時スタートしていた月刊マイコン(電波新聞社)での連載などを書く仕事をしつつの開発だったので、そんなにスピーディーな開発ではなかったと思いますが、半年程度でメドがついてきた中、気に入らなかった出来事がありました。それが、製品のネーミングです。
社内である程度議論していたのかもしれませんが、ある日、HAL研に行った日に、岩田さんから「名前は“響(ひびき)”にしようと思う」、と言われたのです。で私が作っているソフトのほうは音色づくりソフトだから“響造(きょうぞう)”、シーケンスソフトのほうは“響子(きょうこ)”にする、と。「そんなダサイ名前は嫌だ!」と反論したけど、岩田さんからは、最近のソフトの名前の付け方はこれが風潮だから、と押し切られてしまいました。
個人的には納得いかない響という名前に決まった
個人的にはそれまでのGSX-8800とかPCG-8000といった感じの名前が絶対にいいと思っていたんですけどね。確かに当時、“一太郎”なんてワープロソフトが登場してきたり、“桐”なんてデータベースがあったり、日本語名のものが増えてはいましたが、電子楽器機材にそれはないだろう、と。「岩田さん、めぞん一刻が好きだったので、響子って名前が付けたいんでしょう!」なんて食い下がったような気もするんですけどね……。このネーミングはいまだに納得はいってませんが、そのようにして製品が発売されたのでした。価格は当時39,800円。消費税なんてものが導入される前のことですね。
最後のほうに作成した響のマニュアルの原稿。これはまさに一太郎で私が書いたのだと思う…
実数は知りませんが、結局この響は、それほど数は売れなかったと思います。当時あったCOMUSIC誌など、いくつかの雑誌に紹介記事が掲載された記憶はありますが、それほど大きな話題にはならなかったですからね。個人的には、響子と当時買ったMTRであるTASCAMのPortaOne、またRolandのJUNO-106やTR-707なんかを接続して、いろいろ多重録音をしてみたり、そうして作ったオケを利用して、クリック聞きながらライブするなんてことをしたり、とかなり使い込んだんですけどね。
39,800円で発売された響
少しずつ記憶が薄れていく中、いろいろな資料を引っ張り出しつつ、岩田さんの命日に振り返ってみました。改めて思い返しても、自分の能力はあんまりなかったので、やはりエンジニアの道に進まなかったのは正解かな、と思いますが、当時、岩田さんに教わり、経験させてもらったことが、自分の今のベースになっているのは間違いない、と改めて確信したところでもあります。
※今回使った写真、画面について響のパッケージは定期的に開催されている80mkII会でお会いしたUME-3(@ume3fmp)さんにその場でお借りして、撮影させていただいたものです。また、響子、響造のスクリーンショットは同じく80mkII会でお会いしたapaslothy(@apaslothy)さんのサイトに掲載されていたものですが、お願いしたころ、縮小していないオリジナル版をいただけたので、それを掲載させていただきました。30年も前の製品である響を今も大切に保管していただいているUME-3さん、apaslothyさんに改めて心から感謝いたします。