多くの名作を生み出したスタジオ、音響ハウスのサウンドを完全に再現するプラグイン、ONKIO Acousticsが誕生した背景

すでに以前の記事でも紹介したとおり、10月20日、東京・銀座にあるレコーディングスタジオ、音響ハウスのスタジオの音を手元のDAW上で完全に再現するプラグイン、ONKIO Acousticsが発売され、大きな話題になりました。発表の時点ではMac版のみでしたが、その後11月16日にはWindows版もリリース。価格が10,780円(税込)と手ごろな上、2023年1月8日までは8,624円とブラックフライデー / 年末年始キャンペーンが展開されていることもあり、プロ・アマ含め多くの人が使っているようです。

このONKIO Acousticsは、いわゆるIRリバーブなどとは異なる、最先端の技術で作られた非常にユニークであり、高性能、高音質なプラグインで、音響ハウスでレコーディングした人であれば、まさに同じ響きの音になることを実感できるソフトです。ある意味、音響ハウスに行かなくても音響ハウスで録った音を実現できてしまうのだから、スタジオの営業の観点からすれば邪魔になってしまう可能性もあります。なぜ、そんなものをリリースすることになったのか、しかもどうしてこんな低価格でリリースしたのでしょうか?実はほぼ1年前、このソフト開発のために音響ハウスのスタジオ測定をする現場を取材するとともに、音響ハウスの代表取締役社長である高根護康さん、そして執行役員 IFE制作技術センター長である田中誠記さんに話を聞く一方、この技術の開発を行ったソナの専務でありオンフューチャーの社長である中原雅考さんにどんな技術なのかを少し伺ったので、紹介してみたいと思います。

10月20日、音響ハウスのスタジオの音を再現するプラグイン、ONKIO Acousticsがリリースされた

このONKIO Acousticsというプラグイン、まさに音場を再現するソフトとしては革命的なソフトだと思います。これまでもIRを用いたソフトはいろいろありましたが、それらとは一線を画す、まさに新世代のソフトです。そんなすごいソフトを開発する…なんてことはまったく知らなかったのですが、2022年の正月明け早々、ONKIO Acousticsの発売元でもあるタックシステムの事業統括部長、山崎淳さんから電話があり、「1月22日、音響ハウスでとても面白い実験、仕込みを行うので取材に来てください」と言われたのです。詳細な目的も、具体的な内容もまったくなかったのですが、山崎さんがおっしゃるなら、きっと面白いはず…と、当日朝に音響ハウスに到着したのです。

2022年1月22日、音響ハウスのスタッフ全員総出でSTUDIO 1/2の測定が行われた

すると、ときどき取材にも伺うSTUDIO 1に、音響ハウスのスタッフ全員が集結し、セッティング作業を行っていたのです。その中心にいたのはソナの中原さんと井出将徳さんのチーム。不思議な形のスピーカーと4本の端子がある変わったマイク、それに360度カメラを用いて測定が行われていました。

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こんな感じの音を出しながらの測定でしたら、スウィープ音ですかね。IR測定と非常に近い雰囲気ではありますが、それとはいろいろ違いがあるようです。この辺の詳細については後ほど、中原さんに伺うとして、まずはこのプラグインを開発することになった背景などについて、社長の高根さん、執行役員の田中さん、そしてタックシステムの山崎さんにお話を伺いました(以下、敬称略)。

--今回のONKIO Acoustics、どんな経緯で製品化することになったのでしょうか?
高根:キッカケは2020年11月に公開した映画『音響ハウス Melody-Go-Round』です。この中でOBやお客様であるミュージシャン、アーティスト、プロデューサー、エンジニアのみなさんにインタビューをし、音響ハウスに関する印象などを聞いたのですが、ここの「アコースティック」について語られる方が非常に多くいらっしゃいました。実は、ここは過去2回の改修をしています。その際、「ここの音はしっかり残さなくてはいけないよ」とOBや先輩からもサジェスチョンいただき、そこは丁寧に作業をしました。その結果、響きの印象は当初から変わらないようにしていて、それがすごくいいのです。その際、音響測定をしており、改修の資料として使われました。ただし、この資料はあくまでも設計会社のものであって、我々の資産ではありません。映画を作った際、改めて、我々の資産としてしっかり残すべきだろう、と思ったのです。

株式会社音響ハウスの代表取締役社長、高根護康さん

田中:その資産として、音響ハウスの公式記録としてデータ化し、後世に伝えていくために、ソフトウェアで残すというのが目的の一つです。この後、何十年かしたら、音響ビルも建て直しすることになるかもしれません。そのときのためにも、今の音を残していきたい、と。それとは別にもう一つの目的もありました。映画を見ていただいた方など、音楽の世界を目指している方も多くいると思います。とくにDTMユーザーなど、自宅での作業が中心で本物のスタジオの音を経験してないという人も少なくないでしょう。そうした人に、音響ハウスの響きや空気感を体験してもらいたい、というのがもう一つの重要な目的なんです。今回はSTUDIO 1とSTUDIO 2を再現できるプラグインですが、音響ハウスには機材も数多くあります。たとえばEMT(鉄板リバーブ)もチューブやトランジスタのアンプの違いで5台あるし、またビンテージマイク……などなど、普段なかなか触れることができない機材があるので、これらも再現できるプラグインを作って、今後シリーズ化していきたい、というのが目指すところです。こうしたものが揃えば、コンシューマの方々も本物に近い環境で制作できるようになる。もちろん、プロの方は今まで通り直接ここに来てください(笑)。

株式会社音響ハウス、執行役員 IFE制作技術センター長である田中誠記さん

--そんな再現度の高いプラグインがシリーズ化されていったら、プロも「プラグインでいいや」となってしまいませんか?
田中:やはりプロの方は、リアルに現場での空気感を求める録音が伴いますので、そこは少し違うと思います。そういう意味では、ターゲットはコンシューマということになります。とはいえ、できる限りピュアな形で提供していきたいと思います。「映画の中で葉加瀬さんが言っていたのはこういうことなのか…」、「教授が話していたことは、これなのか!」と感じてもらいたいですね。

--今回、最新のVSVerb技術を用いた世界初の商用ソフトとして発売する運びになったわけですが、これはどういう経緯だったのでしょうか?
高根:もともとは我々の資料・資産として、将来なにかに使えるように歴史を残していこうという考えであって販売するということは考えていませんでした。でも、社内で相談しているなか、「どうせなら製品化したらどうか?」「音響ハウスに来られない人、若い人、アマチュアのミュージシャンに開放したらどうか?」という意見がでてきたのです。幸い、映画で音響ハウスの認知度も上がりました。それなら「音響ハウス・サウンド・コレクション」のようなソフトを作っていこう、広く音楽愛好家に使ってもらえるような、ハードルの低いものを開発したらどうか、というようになっていったのです。昨年3月に構想が固まり、田中君をプロジェクトチームリーダーという形にして4月からスタート、そこから本格的に動き出しました。もちろん、私たちが直接開発できるわけではないので、業界の中で実績のあるところ、複数社に相談しました。その中でも付き合いの長いタックシステムさんにお声がけし、山本社長とも相談してお願いできるのではないか、と。


ONKIO AcousticsはWindowsのVST/AAX、MacのAU/VST/AAXで動作するプラグインとなっている

田中:詳細に関しては山崎さんと相談をしていったのですが、「そういう話であれば、ソナ/オンフューチャーの中原さんがいいですよ。これまでAESで何回も技術発表されいるようですし、今度のICAでも新しいことを発表されるようです。VSVerbという技術を使ってやりましょう!」というお話をいただき、話が進みだしたのです。
山崎:中原さんが、いろいろな発表をしていたのは見ていたので、これはまさに中原さんの技術でいいものができるはず、というヨミはありました。中原さんは以前から「自分の会社で商品を出していきたい」とおっしゃっていたので、「今回は,VSVerbの技術のエッセンス部分をうまくだしながら、市場にどう受けるのかテストマーケティング的にやってみるのはどうだろう?」と提案してみたところ、乗ってくれたのです。もっともホントにVSVerbで行くのがいいのか、データとして音響測定した上で、IRで行くのもありだろう…という話にはなりました。IRのライブラリで出したほうが、ユーザー層も広いので、幅広く売れる可能性もあるのでは、と。

株式会社タックシステムの山崎淳さん

--その結果、どうなったのですか?
山崎:中原さんからは昨年10月にOKをいただいたけど、VSVerbで行くのがいいのか、IRがいいのかは音響ハウスさんを交えて決めていこうという話になったのです。
田中:11月にIRとVSVerbの測定を行い、それぞれのテストサンプルを中原さんに作ってもらいました。それをウチのエンジニア6人に試してもらった結果、6人全員がVSVerbのほうがいい、という意見だったのです。オフマイクで録ったものがあったので、それと比較してみても、「すごくリアルだね」という声があったこともあり、VSVerbで行くことに決まっていったのです。
山崎:僕は、もしIRとVSVerbで意見が拮抗したらどうしようか…と少し心配もしていたのですが、6人とも同じ意見なら間違いない、と正式に動き出しました。

測定を行うソナの中原雅考さん(左)と井出将徳さん(右)

--そして今日の測定になった、ということなんですね。
田中:はい、今のところ測定は非常に順調に行っているようなので、ぜひ、うまく製品に落とし込んでいければと思っています。すでに山崎さんの協力もあり、UIもだいたいできているので、発売に向けて、しっかり進めていければと思います。
高根:ONKIO Acousticsのユーザーとしてはアマチュアバンドの若い子たちをイメージしているのですが、映画を見てスタジオに興味をもってくれたDTMユーザーなどにもぜひ使ってもらえたらと思っています。もちろん、現役の音楽制作のプロデューサーでも、予算がどんどん減る中、なかなかスタジオでレコーディングできない……なんて話も聞くので、もしかしたら、そこが大きな糸口になるのでは…という思いもあります。とはいえ、スタジオに人があつまって、みんなで演奏して、そこで奇跡的な音が生まれる…というのが本来のあり方なんだとは思います。そのすべてがプラグインで実現できるわけではありませんが、買いやすい価格帯に設定しているので、スタジオの良さを体験してもらうための一つの手段として、多くの人たちに活用してもらえればと思います。その結果、スタジオ業界全体にも活気が出てくるのでは、と期待しているところです。

--ありがとうございました。

VSVerbとは何なのか?開発者の中原雅考さんインタビュー

--今回のONKIO Acousticsに使われた技術であるVSVerbについてお伺いしたいのですが、その前に中原さん、ソナとオンフューチャーと2つの会社の肩書について、少しお話いただけますか?
中原:ソナはスタジオを作る会社で、大きなくくりでは建設会社に入りますが、僕の本業はこちらです。一方で、もともと僕の技術的なバックボーンは室内音響学でして、その分野でサンデーリサーチャーとして研究・開発をしているのがオンフューチャーですね。このオンフューチャーは2006年に僕と九州大学芸術工学部の尾本章教授とで作った会社です。ちなみに尾本先生は僕が九州芸術工科大学(現・九州大学芸術工学部)の学生で研究室にいたときの助手の先生なので、30年近い付き合いです。僕自身は、いったん1995年に修士を修了したあと、社会人ドクターとして2003年から2006年まで九州芸術工科大学の博士課程としては最後のタイミングの時期にミキシングコンソールの形状とモニタ特性の関係について研究を行っていました。

株式会社ソナの専務取締役で、オンフューチャー株式会社の代表取締役である中原雅考さん

--長年、音響に関する研究をされているわけですね。その中でVSVberbが生まれたということなのですか?
中原:本職はあくまでもスタジオを作ることではありますが、AESや日本音響学会で研究発表させて頂くなど、学会などにも出入りをさせて頂いています。VSVerbのもとになっている技術を我々はVSVすなわちVirtual Source Visualizerと呼んでいるのですが、僕が博士課程にいたころに尾本先生が始められた技術です。Virtual Sourceつまり仮想音源を可視化するこのVSVの技術をスタジオの音響設計の場でも使えるように解析アルゴリズムに工夫を重ねてアプリ化したものが、オンフューチャーのVSV4というアプリになります。それが、ちょうどいま使っている測定用のツールですね。

--VSVのアプリ、何をするものなのか、簡単に教えていただけますか?
中原:小空間から大空間まで部屋の音響を解析して可視化するというものです。これによってレコーディングスタジオなどの反射特性の詳細が確認できるのですが、これをリバーブとして使おうというのがVSVerbの基本的な考え方です。特徴的なのは仮想音源というものを使うという考え方にあります。壁からの反射音を壁の向こう側に存在する仮想音源から音が放射されているという考え方で部屋の響きを捕らえる方法です。単なるリバーブの録音では無く、その部屋のリバーブの状態を解析し、その解析結果からリバーブを再構築する。VSVをある程度精度よく使えるようになってきたので、実現のメドがたってきた、というわけなのです。

音響ハウスのスタジオの測定を行うのに使っていたVSVのアプリケーション

--虚音源、仮想音源を使うリバーブというのは中原さん、尾本先生が発明したものなのですか?
中原:仮想音源リバーブ自体は建築音響の世界では珍しいものではなく、例えばホールの響きをシミュレーションするための技術としては1980年代以降でしょうか、色々なところで利用されていると思います。また、最近ではホールの残響補助システムなどでも利用されているかと思います。その技術を音響コンテンツの制作現場のツールに持ってきた、ということですね。そのためには、大規模で高額な測定や解析でなくても精度良く仮想音源を抽出できる技術が必要で、それをオンフューチャーで開発してきたというわけです。その核となる技術が、速度検知という技術で、音響インテンシティーが空間を移動する速度に着目して仮想音源を抽出する技術なんです。通常は、波形の振幅値に着目して仮想音源を抽出しますが、それだと精度に満足できませんでした。速度検知の技術は2017年に開発したもので、その内容は明治大学での日本音響学会の研究発表会やベルリンでのAESなどで発表しています。

--だいぶ前に完成はしているわけですね?
中原:基本的にはできているのですが、ホントはもっともっと煮詰めていきたいんですけどね。速度検知の技術などは、一応日米で特許化はしています。そういう技術ができたし、測定負荷も下がった。僕はこれが正しいと思っているけど、そこはユーザーの聴感で判断してもらいたいので、この音響ハウスで作ったものが、どう評価されるのかは楽しみなところです。学会のデモ用にMaxでパッケージ化したこともあったけれど、はやり実用化するためにはプラグイン化したいと以前から考えていて、オンフューチャーで製品を出していくことを考えていました。ただ、まだ研究開発ベースなので、もっと長いスパンをかけてより完璧なものに仕上げていくつもりですが、今回、タックシステムさん、音響ハウスさんにお声がけいただいたので、エッセンス的なものを切り出して、作ろうというのが今回のプラグインですね。

--VSVerbとIRリバーブを比較すると、どんな違いがあるのでしょうか?
中原:VSVerbは反射音だけを抜き出すこともあり、S/Nが無限大、すなわち一切ノイズを含まない点が大きな違いです。IRリバーブは精度よく録ったとしてもどうしてもノイズがある。そのため、IRリバーブでは響きを長くしようとして波形を持ち上げるとノイズも持ち上がってしまうことになり、S/Nが更に悪くなってしまう。それに対しVSVerbはそうした可変に強いのです。2つ目にIRリバーブは測定に使用する機材の特性に大きく左右されることにあります。たとえば小さいスピーカーを使って測定してしまうと低域がなくなってしまう…といった具合で。それに対し、VSVerbは測定値から部屋の反射音情報だけを抜き出すので、マイクやスピーカー、A/D、D/A、アンプの特性に左右されず制作ツールとして使ったときの音色の変化が少ないんです。そして3つ目は全方向4π空間をサンプルするのでいかなるチャンネルフォーマットにも対応できるというメリットがあります。そんな形でのプラグインとしてONKIO Acousticsは初めて世の中にリリースするVSVerb製品なので、ぜひ、従来のサンプリングリバーブとの違いを味わってみてください。

【関連情報】
ONKIO Acoustics製品情報
音響ハウス・サイト