音楽制作ソフトウェアの開発者たちが世界中から集まる国際カンファレンス「ADC(Audio Developer Conference)Japan 2026」が、2026年6月1日〜3日の3日間、東京・秋葉原UDXにて開催されました。ADCは世界中のオーディオ開発者を支援することを目的として2015年にスタートしたイベントで、毎年イギリスのロンドンとブリストルで開催されてきましたが、今回が記念すべき日本での初開催となりました。プラグイン開発フレームワーク「JUCE」を軸に、DSP、AI×オーディオ、MIDI 2.0、ゲームオーディオ、Rustによるプラグイン開発など、オーディオソフトウェア開発をめぐる最前線の情報が3つのステージで3日間にわたって発信されました。
今回の参加者は275名。そのうち65%が日本国内からの参加でしたが、残り35%は海外からで、最も多かったのはイギリス、次いでアメリカ、そのほかヨーロッパ各国から参加者が集いました。会場を見渡すと日本人の姿が多いながらも、セッションの半数以上が英語で行われるという、非常に国際色豊かなイベントでした。注目すべきは、日本メーカーや日本人開発者による講演の多くが英語で行われていたことで、日本のオーディオ開発コミュニティのグローバルな広がりを実感させてくれるものでした。参加者の内訳を見ると、企業からの参加が75%と大半を占めながら、学生が12%、個人エンジニアが13%と、幅広い層が揃っています。また各セッションには同時通訳が提供されましたが、これがDreamtonicsのカンル・フアさんが開発したシステムによるもの。英語・日本語・中国語の3か国語をリアルタイムで画面表示するAIベースの仕組みで、オーディオ技術用途、AI用途、DTM関連用語などかなりマニアックな専門用語もほぼ完璧に処理できていたのが印象的でした。そして次回の開催もすでに確定しており、ADC Japan 2027は2027年6月21日〜23日の開催が決まっています。
ADCとは何か
ADCとは「Audio Developer Conference」の略で、オーディオソフトウェアの開発者を対象とした国際カンファレンスです。DAWのプラグインやオーディオアプリケーション開発を支援するフレームワーク「JUCE」を生み出したRaw Material Software(現・PACE Anti-Piracy傘下)が主体となって運営しており、現在はPACE Anti-PiracyのCEO、Andrew A. Kirkさんが統括し、運営委員長のBobby Lombardiさんがイベント全体を取り仕切っています。
ADCの前身は、2015年にロンドンで開催された「JUCE Summit」で、JUCE関連のセッションを中心に約100人のオーディオ開発者が集まるという、小規模なものでした。翌2016年に「Audio Developer Conference」と改名し、JUCEに限らず広くオーディオ開発全体をカバーするイベントへと進化。その後は毎年イギリスで開催されながら着実に規模を拡大し、2023年には現地参加者518名・オンライン参加者596名・合計1,114名を集める大規模イベントへと成長しています。本大会のほかにも、インドのバンガロールやアメリカのサンフランシスコ、デンマークのコペンハーゲンなどで「ADCx」と名付けた1日規模のポップアップイベントを展開してきました。
ADCで取り上げられるテーマは非常に幅広く、デジタル信号処理(DSP)、音声合成・解析、DAW・プラグイン開発、ゲームオーディオ、3D/VR/ARオーディオ、C++やRust・Pythonなどのプログラミング言語、AI×オーディオ、テスト・品質保証、さらにはオーディオ開発者としてのキャリア形成まで多岐にわたります。
なぜ日本でADCが開かれることになったのか
ADCが日本でのイベント開催を検討するようになった背景には、長年にわたる参加者アンケートの結果がありました。Bobby Lombardiさんは次のように語ってくれました。
「毎年、参加者に『次はどの国でADCをやってほしいか』と尋ねています。その答えはいつも決まって日本、あるいは東京でした。過去数年間、Roland、Yamaha、KORG、Sony、AlphaTheta……、こういった日本の企業が『ぜひADCを日本で開いてほしい』とずっと言ってくれていました。それが私たちの背中を押してくれた大きな要因のひとつです」
一方で、日本でのイベント開催はチームにとって容易なことではありませんでした。「私たちのチームは基本的にイギリスとカリフォルニアを拠点にしています。日本でイベントを開くためには、現地でホスト役となる会社が不可欠でした」(Bobby Lombardiさん)。そこで重要な役割を担ったのが、DreamtonicsとAHSという2社です。特にDreamtonicsは会場であるUDXとの交渉窓口を一手に引き受け、現場のロジスティクス全般を担当しました。
Dreamtonicsの立場でADCとの関係を長年築いてきたカンル・フアさん(CEO)は、スポンサーになった理由についてこう話してくれました。
「この業界にはNAMMのようなトレードショーがあります。ただ、ああいった場はメーカーとメーカー、つまりB2BやB2Cのコミュニケーションが中心で、開発者同士が技術について話し合えるコミュニティというのはなかなか存在しません。VST、AU、CLAPといったフォーマットを作っているチームがお互いに話し合う場がほとんどなかった。ADCはそこを補える場所だと思い、スポンサーになりました。Dreamtonicsのすべての製品はJUCEを使って開発しているので、そのJUCEのコミュニティを支えていくことは、私たちにとって自然な判断でした」
また、ADCと日本のJUCEコミュニティをつなぐ橋渡し役を担ったのが、株式会社COCOTONEの塩澤達矢さんです。塩澤さんは2016年からJUCEのコミュニティ活動を続けてきたプログラマーで、2022年11月にPACEのAndrew A. KirkさんからLinkedIn経由でコンタクトを受けたことをきっかけに、JUCEチームの来日をコーディネートする役割を担うようになります。
「2023年3月のAndrewさんの来日時、まずは食事会という形でJUCEユーザーの日本人開発者たちと会ってもらいました。本当に小規模なものでしたが、『日本人でJUCEを使っている人が本当にいるんだ』ということをAndrewさんに実感してもらうことができました」(塩澤さん)
その後、2025年4月17日に開催された「JUCE Meetup Tokyo Spring 2025」には約80名が集まりました。これについては昨年「秋葉原で開催されたJUCE Meetup Tokyo Spring 2025。JUCEの新機能などが発表されるとともに、ADC Japan 2026開催も決定」という記事でもレポートしています。このイベントにADCのスタッフ陣が来日した際、BobbyさんはUDXの会場を視察し、翌日のミートアップ当日にADC Japan開催を発表します。
「開催を決めたのは、JUCE Meetupの前日でした。会場の雰囲気を見て、インフラを確認して、『ここでやろう』とその場で決めた。スポンサー向けの資料もホテルでみんなで作りました」と塩澤さんは振り返ります。こうして、ほぼ即決という形で生まれたADC Japan 2026の計画は、Dreamtonics、AHS、PACE Anti-Piracy、そしてJUCE Japanコミュニティという4者のコプロダクションとして着々と進められていきました。
初回からフルサイズ開催、3ステージを駆け抜けた3日間
ADCはインドやサンフランシスコ、コペンハーゲンなどで1日規模の「ADCx」ポップアップを展開してきましたが、ADC Japanはその第1回から3日間・3ステージというフルサイズでの開催となりました。
「本当は最初はもっとシンプルに、1ステージ・2日間でいいと思っていました。でも、JUCE MEETUPで100人近くの人が集まってくれて、その熱量を見たとき、これは大きくやるべきだと確信したんです。ハッカソンもやりたい、ワークショップもやりたい、3ステージでやりたいと思って、最初から大きいイベントにしました。結果として、それは正解でした」(Bobby Lombardiさん)
Bobby Lombardiさんは、ADC Japanとイギリス開催のADCの違いについてもこう指摘していました。
「日本は電子音楽の創造において、歴史的に非常に重要な位置を占めています。今回の日本での講演を聞いていると、シンセシス、DSP、キーボードに関する内容が多い。英国ではゲームオーディオや学術的な研究など、テーマが非常に幅広い。そういった違いが見えてきたのも、今回の大きな発見でした」
6月1日(Day 1):ハッカソン&ワークショップ
初日はハッカソンとワークショップに特化した日で、3つのプログラムが並行して進みました。
Next 1では終日にわたってハッカソンが開催されました。ADC Japanのハッカソンはオーディオ開発者、プログラマー、クリエイティブテクノロジストが集まり、1日でオーディオツール・プラグイン・体験のプロトタイプを制作するというイベントです。
午前のキックオフではBobby Lombardiさんによるルール説明と「どんなツールがあったら嬉しいか」「どんな問題を解決したいか」というテーマのアイデアピッチが行われ、その後チームを組んでハッキングセッションへ。推奨テックスタックはJUCE、Web Audio API、Max/MSP、Pure Data、Rustオーディオライブラリ、C++、Python、Unity/Unrealなどで、使用技術はチームの自由でした。午後も引き続きハッキングセッションが続き、夕方に全チームが2〜3分のデモプレゼンを行うという流れです。
並行してNext 2では、JUCEチームによる「JUCEを使用して最初のプラグインを構築する」ワークショップ(Tom Poole、Reuben Thomas、Attila Szarvas、Anthony Nicholls)が開催。初心者・学生向けのハンズオン形式で、JUCEによるプラグイン開発の基礎を体験できる内容でした。また午後には「JUCEオフィスアワー」として、JUCEチームに直接質問できる時間も設けられました。
Conference Roomでは、Korg logue-sdkを用いたKarplus-Strong合成からウェーブガイド合成へのアプローチを探るセッション(Shijie Xia、Davis Sprague)と、「LYDIAを使ったNeural Audioの体験」(Tom Baker、Alfie Bradic、矢澤一郎)が行われました。
6月2〜3日(Day 2・3):3ステージ同時進行のカンファレンス
2〜3日目はNext 1〜3の3ステージとAkiba Squareのスポンサー展示ブースが同時進行するカンファレンス形式です。Bobby LombardiさんとAndrew KirkさんによるWelcome Addressからスタートし、DSP・AI・プラグイン開発・ハードウェア連携など多彩なセッションが展開されました。以下に主なセッションを紹介します。
ヤマハのDSPエンジニア・桑原武さんによる「ハードウェアDSP資産の継承と進化:MONTAGE M互換ソフトシンセにおけるDSPアセンブリ自動変換ソフト開発」は、実機ハードウェアのDSP資産をソフトウェアシンセサイザーに移植するための独自ツール開発を紹介するもので、会場の日本メーカー開発者たちの関心を集めていました。
Brett g Porterさんによる「MIDI 2.0 ─ 出荷準備完了」では、MIDI 2.0の実装状況と各プラットフォームへの対応について詳しく解説されました。昨年のJUCE Meetupでも大きな話題となっていたMIDI 2.0対応が、いよいよ現実のものとなってきたことを改めて実感できるセッションでした。
Rolandの笹森一義さん、Alfie Bradicさん、Paul McCabeさんの3名が登壇した「LYDIA Phase2の紹介」、同じくRolandが取り組む「LYDIAを構成する技術の紹介」(Tom Baker、Taichi Kumon)では、ニューラルオーディオシステム「LYDIA」の内部技術と最新フェーズが紹介されました。
「C++を1行も書かずに:RustとWeb GUIで商用オーディオプラグインを構築する」(湯朝剛介、市川創太)は、Rustと最新のWeb GUI技術を組み合わせてC++なしに商用プラグインを作るというアプローチを紹介するもの。日本人開発者による英語プレゼンテーションで、その内容の先進性と発表の流暢さが印象的でした。
三枝文夫さんによる「日本の電子楽器元年」は、日本の電子楽器の黎明期を振り返る歴史的な講演。カンル・フアさん(DreamtonicsおよびAHSの代表取締役)と尾形友秀さん(AHS取締役会長)による「日本でオーディオソフトウェア会社を立ち上げる方法」は、Dreamtonicsが日本で事業を展開してきた経験をもとにした、実践的なビジネストークでした。
そして最終日である3日目のセッションもかなり充実した内容になっていました。
AIとオーディオをめぐるテーマがさらに充実。「スケール規模でのリアルタイムAIオーディオ処理:クラウドネイティブオーディオアプリケーションの構築」(Vishal Alhat / AWS)、「AI対アルゴリズム:倫理的ボーカル合成を通じて「シーン」を取り戻す」(Seann Nicols)など、業界が直面するAIとの向き合い方を問うセッションが続きました。そして最終日のラストセッションはクリプトン・フューチャー・メディアの黒田毅さん・山根壮一さん・岩崎純一さんによる「初音ミクを支える基幹技術と今後の展開」。初音ミクをはじめとする歌声合成ソフトウェアを支える技術の変遷と今後について、その開発の最前線にいる3名が語るという、クロージングにふさわしい注目のセッションでした。
このカンファレンス2〜3日目には、会場2階の大きなホール「Akiba Square」にスポンサー各社のブースが設けられ、展示・デモが行われていました。休憩時間にはここに参加者が集まり、企業の開発者と直接話せる場となっており、ネットワーキングの拠点としても機能していました。
全セッションの録画はYouTubeチャンネル(@audiodevcon)で無料公開される予定です。
Dreamtonicsが開発した3か国語対応のAI同時通訳システム
今回のADC Japanで特筆すべき取り組みのひとつが、カンル・フアさんが開発したAIによるリアルタイム同時通訳システムです。会場のマイクから拾った音声をDreamtonicsのサーバーにリアルタイム送信し、即座に英語・日本語・中国語の3か国語テキストに変換してディスプレイに表示するというもの。人が介在しない全自動の仕組みです。
驚かされたのはその精度の高さで、「JUCE」「VST3」「DSP」「Karplus-Strong合成」「ウェーブガイド」といった専門用語も、ほぼ完璧に文字起こし・翻訳されていました。実はこれ、Dreamtonics社内で日常的に使われているシステムを改良したものだとのこと。普段からオーディオ開発の専門用語が飛び交う環境でシステムが鍛えられているからこそ、一般的な音声認識では対応が難しい技術用語も高精度で処理できるのだそうです。
日本語のプレゼンテーションは英語話者には理解できず、逆に英語のセッションは日本語話者の一部には難しい。そのジレンマを人手に頼らず解決したこのシステムは、ADC Japan全体の体験品質を大きく底上げしていました。下手な同時通訳者が入るよりも断然わかりやすかった、というのが率直な印象です。
ADC Japan、これから
Bobby Lombardiさんは来年以降の展望についても力強く語ってくれました。「明日からまた来年に向けて動き出します。2027年も3日間、ハッカソン、ワークショップ、トークという形でやります」とのこと。次回ADC Japan 2027は2027年6月21日〜23日の開催がすでに決定しています。
Bobby Lombardiさんは今回を振り返り、こんな言葉を残してくれました。
「このイベントの一番の美しさは、新しい人たちと出会い、持続的なプロフェッショナルな関係を築けること。特に新しい学生たちが参加してくれたとき、オーディオ開発者コミュニティの温かさを感じてもらえること。このコミュニティはとても特別なんです」
来年のADC Japan 2027に向けた詳細は、ADCのニュースレター(audio.dev/newsletter)やSNS(@audiodevcon)で順次発表される予定です。
ここまで見てきた通り、初となったADC Japanのセッション内容はとにかく盛沢山。技術レベル的に難しくてついていけないものも多かったというのが正直なところではありますが、個人的に見ても面白かったものもいっぱいでした。そこで、今後数回に分けて詳しく取り上げていこうと思っていますのでお楽しみに。
【関連情報】
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ADC Japan 2026サイト




















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