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なぜJ-POPは世界で再び注目されているのか?第一線で活躍するCarlos K.さんが語る日本コンテンツの可能性

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2015年オリコン年間ランキング作曲家部門1位を記録し、2016年には作編曲を手がけた西野カナあなたの好きなところ』がレコード大賞を受賞。その後、2020年にはNHK紅白歌合戦でも披露されたLittle Glee Monster足跡』がレコード大賞優秀作品賞を受賞し、2022年では編曲を手がけたTani YuukiW/X/Y』がBillboard 1位を獲得、そして今年、2025年の年末は編曲を担当した幾多りら恋風』が日本レコード大賞優秀作品賞にノミネートされるなど、J-POPシーンで数多くのヒット曲を手がける作曲家、Carlos K.カルロス・ケー)さん。DTMステーションでは9年前にもインタビューしましたが、当時からさらに大きな飛躍を遂げ、現在は60名以上もの作家と提携する事務所の代表も務めています。

今回、音楽の道に進むきっかけとなった幼少期の体験やブラジルでの決意、そして『Dear J』などの初期ヒットから作家事務所設立に至るまでのキャリアについて改めて伺うとともに、アジア市場におけるJ-POPの可能性、グローバルな著作権管理の実際、さらに最新のスタジオ環境とサウンドメイク術まで、じっくりとお話を伺ったので紹介していきましょう。

オリコン年間ランキング作曲家部門1位、レコード大賞優秀作品賞受賞、Billboard 1位を獲得するカルロスKさんにインタビュー

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幼少期からブラジルでの決意まで

ーー9年ぶりのご登場、ありがとうございます。前回は生い立ちなども伺いましたが、改めて、カルロスさんが音楽を始めたきっかけからお伺いできますか?
カルロス:両親は日本人なのですが、僕はブラジル生まれの日系2世で、6歳の時に日本に戻ってきました。山梨の山の上にある父の手作りの家で育ち、家には父親が揃えたドラムやピアノ、ギターなど一通りの楽器があったので、子供のころから自然に楽器に触れて育ったのが大きいですね。作曲自体は、小学校の高学年くらいからはもう始めていました。最初はピアノ教師でもある母親からクラシックピアノを習っていたのですが、僕はどうも楽譜を読むのが苦手で。

ーー楽譜が苦手だったんですね。
カルロス:譜面を見ながらつっかえて弾いていると、ひどく怒られたのです(笑)。それが嫌で、レッスンが始まる前に次に習う曲を全部耳コピで覚えてしまい、当日は譜面を見ているふりをして弾いていました。そうしているうちに想像力も広がって、どうせ耳コピで覚えるなら、人の曲を練習するよりも自分で曲を作って弾くほうが楽しいな、と思うようになり、自然と作曲するようになりましたね。当時はまだ歌ものは作っておらず、小学校から中学校1年生までは、ずっと自分でピアノ曲を作っていました。

ーー歌ものはいつごろから作り始めたのですか?
カルロス:中学2年生の時です。当時、家庭の事情などもあって、つんく♂さんや小室哲哉さんが活躍されている姿を見て、ヒット曲を意識して歌ものを作り始めました。とはいえ、実は当時は音楽より絵を描くほうが得意で、油絵で山梨県の最優秀賞をもらったこともありました。ただ、音楽のほうがより大きな成功に繋がるのではないかと考えて、こちらを選びました。

ーー美術の才能もあるんですか!
カルロス:実は高校では柔道部にも入り、柔道は黒帯なんです(笑)。美術部にも入りつつ、バンド活動や作曲は細々とですが、続けていましたね。地元は山梨でしたが、当時の同級生には、後に舞台俳優やアーティストとしてデビューした仲間も何人かいて、刺激的な環境だったのかもしれません。中学の同級生には、帝国劇場で主演も務める舞台俳優の廣瀬友祐がいて、彼とは大人になってから合流して曲を作りましたね。高校の同級生には、俳優で劇団も主宰している白倉裕二などもいました。

ーー素敵な繋がりですね。
カルロス:高校卒業後は、進路として音楽専門学校も見学したのですが、担任の先生から「音楽は専門学校に行かなくてもできる。俺も昔DJだったけど、音楽で食えるわけないから、とりあえず大学に行ってみたらどうだ」という助言もあって、抵抗感がありつつも結局一般大学に進学しました。

スピーカーはFocal Trio 11 BeとNEUMANN KH 80 DSPが並ぶ。NEUMANNはエンジニアによるモニター時に使用するとのこと

結果的に、その進学が音楽キャリアに繋がった面もあって、大学では音楽サークルに入ったのですが、そこで出会った仲間たちとは今でも一緒に仕事をしています。専門学校に行っていたら、また違ったキャリアだったかもしれませんが、その頃の繋がりが今の仕事に直結しているのは、本当に幸運なことだと思っています。

ーー大学に入った後ブラジルに行かれてましたよね?
カルロス:就職活動を前に、このまま就職したら、自分の故郷であるブラジルに、もうなかなか帰れなくなるかもしれないという思いもあり、現地に渡りました。農場で住み込みで働いていたのですが、そこの同僚たちが、決して裕福とはいえない過酷な環境の中でも「音楽で成功するんだ」と目を輝かせながら、ブラジルのユニバーサルミュージックにデモテープを送っていたのです。その姿を見て、「自分はなんて中途半端だったんだ」と、自分はまだ本気で挑戦していないと痛感させられましたね。

そのため、日本に帰国後は、就職活動も一応して目黒にあるスタジオでエンジニアとして内定をもらったのですが、会社の都合でドタキャンになってしまって。もうこれは自分で音楽作るしかない、と。ひたすら曲作りに没頭しました。音楽で収入を得た最初の経験は、知り合いを通じて出会ったラッパーに、3万円でトラックを提供したことでしたね。それまでは趣味の延長でしたが、初めて自分の音楽が価値として認められた瞬間だったので覚えています。

ヘッドホンアンプは、Rupert Neve Designs RNHP

3曲同時ヒットから作家事務所の設立へ

ーープロとしてのキャリアはどのようにスタートしたのですか?
カルロス:その3万円の仕事をきっかけに、口コミで徐々に制作の仕事が増え、インディーズ映画のBGMやウェブCMの音楽などを手がけるようになりました。単価は大したことなくても、とにかく実績を積むことだけを考えていました。ちなみに「Carlos K.」という名前は、その頃にバイト先で出会ったシンガーの同僚が付けてくれました。フィリピン出身の彼女に「フィリピンでは名前の最後にドットを付けるとかっこいい」といわれて、そのまま「Carlos K.」を使うようになりました。

Launchkey 37を愛用していた

ーーそういった実績を積み重ねて、あの3曲同時ヒットに繋がるわけですね。
カルロス:そして大学卒業後はフリーターに突入し、横浜のイタリアンとフレンチのレストラン2軒でバイトを掛け持ちしながら制作を続けていました。そして23、24歳の頃に、大きなチャンスが訪れ、板野友美さんのデビュー曲、Dear J、そしてガンダムUCの主題歌、上地雄輔さんの今日の花。この3曲がほぼ同時に決まり、すべてにタイアップが付いたのです。

今日の花は、ソニーの名物A&Rだった灰野一平さんが、僕をコンペで採用してくれた曲でもあります。それまで3万円で作っていたのが、桁の違う金額が通帳に入ってきて、「これで食べていけるかもしれない」と初めて本気で思いました。正直、少し勘違いしてしまった部分もありますね。

ーーということは、そのヒット後はあまり続かなかったと。
カルロス:世の中そんなに甘くなくて(笑)。その直後にパタッと曲が決まらない時期が来てしまって。当時は作曲家事務所に2〜3年ほど所属していたのですが、一度独立して個人で活動を始めた時期でもありましたね。とにかく数を打たないと始まらない、このままではいけないと、1ヶ月に20曲というハイペースでデモ制作を再開しました。

その結果、AKB48やNMB48の表題曲を手がけることができ、オリコン作曲家ランキングで1位をいただくことができました。西野カナさんの『あなたの好きなところ』でレコード大賞をいただいたのも、そのころです。秋元康さんともお会いすることができ、いろいろなチャンスをいただきました。

AVALONなどのアウトボードが並ぶラック。カルロスさん自身は、ボーカルレコーディング時はかけ録りしない派とのこと

ーー現在は作家事務所の代表も務められていますが、設立の経緯についても教えて下さい。
カルロス:当時はお金のことはあまり考えず、とにかく曲を作っていました。海外にも積極的に足を運び、多くの方々と交流する機会にも恵まれました。やがて個人での活動が物理的に限界に達し、当時の税理士さんから「これはもう法人にしないとまずいですよ」と強い助言もあって、法人を設立したのです。

最初は自分のマネジメント会社だったのですが、自分の手に負えなくなった仕事を、教え子や周りの作家に振り分けるようになったのがきっかけです。そのうち、作家さんたちをしっかりマネジメントする必要が出てきて、自分の会社とは別に、マネジメントを行う別会社を設立しました。それが大きくなり、今では60名以上の作家と提携する規模になりました。

JASRAC正会員としての視点とグローバルな著作権管理

ーー作家事務所の代表として、また経営者として、多くの作家さんをマネジメントされる上で、著作権の管理についてはどのようにされてきたのですか?
カルロス:意外と遅くて、2018年6月にJASRACに入会しました。それまでは著作権料の分配をすべて音楽出版社さん経由でもらっていたので、正直、JASRACの仕組みについて深く理解していなかったです。9年前にDTMステーションさんの取材を受けた時点では、まだJASRACの会員ではありませんでしたね。実際に入会して感じるメリットとしては、楽曲利用に関する分配の透明性ですかね。

JASRACメンバーになると、自分の楽曲がどの国で、どんな方法で、どのぐらい使われたか等が記載されている分配明細をWebで確認できます。楽曲がどのように使われたか詳細に確認できるのは安心ですし、見ていて面白いですね。また、JASRACが海外の著作権管理団体と相互管理契約を結んでいるおかげで、海外で自分の楽曲が利用された時もしっかりと著作権料の分配を受けることができるのも安心です。(海外での著作権管理についてはこちらの記事もご参照ください)

メインのオーディオインターフェイスは、Universal Audio Apollo 8

ーーちなみに9年前のインタビューでは、ブラジルとの関係を深めていきたいと伺いましたが、その後のグローバルな活動や、現在の市場についてはどう見ていますか?
カルロス:ブラジルに関しては、今もルーツとして大切ですが、現在は仕事よりも友人との交流が中心になっていますね。それよりも今、強く感じているのは日本発のコンテンツの強さ、つまり日本市場の可能性ですね。特にアジア市場、とりわけ中国では、日本のアニメ関連楽曲などを中心にJ-POPが非常に人気を集めています。

以前はアジアの音楽シーンといえばK-POPを追いかける傾向がありましたが、ここに来て一周回って、日本の曲を参考にし始めているという動きを肌で感じます。僕が楽曲提供しているアーティストも中国のツアーが満席になり、現地の観客が日本語で一緒に歌うんですよ。彼らにとって、J-POPが自分たちのカルチャーの一部として受け入れられているのを感じますね。日本でしっかり作り込んだコンテンツを、そのままの形で輸出できる土壌が整ってきていると思っています。

カルロスさんの最新制作環境

ーー最後にDTMステーションの記事ということで、最新の制作環境についても伺わせてください。メインのDAWは、9年前と変わらずLogic Proですか?
カルロス:メインはLogic Proです。オーディオインターフェイスはUniversal AudioのApolloシリーズを愛用していてApollo 8など、複数のモデルを所有しています。また、僕の制作は一人で完結しているわけではなく、福岡を拠点に活動するエンジニアのスタヂオ眼鏡の平井信二郎と共同で作業を進めることも多いです。ちなみに、ここでもボーカルは録れるようになっていて、ボーカルレコーディング時の一番のお気に入りはManleyの真空管マイクです。これが最初に買った高価な機材で、今でもメインで使っていますね。

初めて購入した高価な機材Manley Reference Cardioidをメインマイクとしている

ほかにはロシアのSoyuzや、暖かみのあるサウンドが特徴のNeumann N149もよく使いますね。女性シンガーや暖かい声を録りたいときに重宝しています。またボーカルブースにはSonyのC-800Gも常設しています。

ーー最近お気に入りのプラグインや、サウンドメイクのテクニックがあれば教えてください。
カルロス:シンセサイザでは定番ですが、Xfer RecordsのSerum2が欠かせませんね。もちろん音もいいのですが、それ以上に、プリセット検索機能が優秀で、膨大なプリセットからスピーディに音色を探すことができるのが便利です。

SpliceでSerumのプリセットを探して、よく使っているそう

もう一つ多用するのが、SubLabというヒップホップ系のベース音源です。これは単体で使うのではなく、たとえば生っぽいベース音源に薄く重ね、低域を加えるために使っています。ベースだけでなく、ドラムでも同様のテクニックを使っていて、たとえばAddictive Drumsなどのスタジオドラム音源に対して、ヒップホップ系の低い音で体に響くような音を加え、キックなどを作っています。小さい工夫かもしれませんが、この積み重ねが、いいサウンドに繋がるんですよね。

Future Audio Workshop Sublabをベースやキックにレイヤーして使っている

ーーありがとうございました。

【関連情報】
Carlos K.公式サイト
JASRACサイト
JASRAC公式YouTubeチャンネル

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